その38 本を買いに行く足のために。

 きな本を紹介するときに、私がくりかえし思い出す一つの言葉がある。美術家フンデルトヴァッサーの言葉である。

「美術館へ向かう足が跡を残した線は
 美術館に展示されている線よりも
 大事なもの」

 この言葉からは沢山の意味が読み取れる。私がいちばん大事だと思うのは、作品を見たいという気持ち、何か好きなものを探しに出かけるときのわくわくした心構えがなければ、人間の創作活動に価値を見出すことは難しくなる、ということだ。
 この意味で、同じことを述べた曲がある。あまりに有名なので言及するのもちょっとはずかしいけれども、ナット・キング・コールが歌う「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」がそれだ。

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

 上の日本語詞をみて、おや、と思った方もいるかもしれない。いま引用した箇所は、村上春樹の小説『1Q84』のエピグラフにもなっている。私はこの歌を、テネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」の中で知った。劇中でブランチがこの歌を歌うシーンはヤマ場のひとつである。
 英文学の授業で、この戯曲について発表しましょうという課題が出た際、ブランチの歌に感動してたまらなくなった私は、発表の途中、下の箇所を小声で歌ってみた。案の定というか、クラスメイトはドン引きしていた。あの沈黙には音があったと思う。

Say ,it is only a paper moon,
Sailing over a cardboard sea
But it wouldn’t be make believe
If you believed in me
          
"It's only a Paper Moon"
(E.Y.Harburg & Harold Arlen)

 ところで。私がいま書こうと思っているのは、さっきのフンデルトヴァッサーの言葉の、もう一つ別の解釈だ。それは言葉通りの意味で、どの交通機関を使って、どの歩道を通って美術館に行くか、その「経路」が、じつは美術を美術として価値あるものするためには必要だという考え方である。 
 言い換えれば、美を条件づけるものには感覚的距離だけでなく、物理的距離も必要ということ。人が美術館に行くときに踏みしめる歩道や階段について書くことは、その美術作品について語ることと、とても関係が深いと思う。なぜかというと、美術館までの道のりが体に刻む独特の疲労感が、その作品の印象の一つになるからだ。話は本の場合にも同様で、だから私は、どこでどうやってその本を知り、どこに買いに行ったか(あるいは買いにいかずにパソコンで済ませたか)ということをなるべく意識して書くようにしている。人に頼んで買ってもらった本や、アマゾンで注文した本は、自分で店まで買いに行った本よりも読みづらかったような経験、皆さんにはありませんか?

*     *     *

 先日、鷲田清一氏の『京都の平熱』という本を買った。12月に仕事の出張で大阪に行った際、販売会社の部長I氏が「観光都市としての京都ではない京都が書いてある本」だと熱く語っていたからだ。さらに1月。ブログの同志、歩氏が、京都土産に買ってきてくれた本でも取り上げられていた。(堀部篤史『本を開いて、あの頃へ』)すごい偶然。でもこうしたことはときどき起きる。そんなとき「道ができた」と思う。こうやって直接関係のない2人から推薦されて買った本は、のちのち大事な思い出になる。

 仕事で大阪を再訪した際、帰り道にちょっと立ち寄ったブックファースト梅田店でこの本を買った。3階の地図ガイドコーナーではなく、2階の思想哲学書のコーナーに置いてあったのが当然とはいえちょっと淋しかった。

京都の平熱  哲学者の都市案内

京都の平熱 哲学者の都市案内

 「古都」としての京都ではなく、京都バス206系統に乗ってたどる俗悪な「装飾都市」としての京都の魅力。「みやび」「はんなり」だけでなく「ぎんぎらぎん」で「おもろい」京都。読み進めるにつれ、哲学的省察と、俗っぽい京都の話しことばの同居に眩暈がしてくる。

平安神宮の鳥居や京都タワーなど、京都人はこってりのみならず、ぎんぎらぎんが大好きである」(18p)
   
「自然的なもの、直接的なものからの偏差あるいは隔たり、それはじつは京都という場所の趣味でもある」(84p)

「都市はいまひどい空襲を受けている。 空襲とはたいそうな言い草かもしれないが、わたしの想像力のなかではそうした言葉しか思いつかない」(61p)
   
「京都のひとはしつこく言う。『京都もえろう汚のなりましたなあ』と」(232p)

 東京に帰ってきてからもずっと、電車での移動中に読んでいたら、「華の都」ではないパリについて語った堀江敏幸氏の散文集『郊外へ』を思い出した。どちらも、先入観を捨てて、考えながら街を歩くことの楽しさに気づかされる本だ。(波)

郊外へ (白水Uブックス―エッセイの小径)

郊外へ (白水Uブックス―エッセイの小径)