その36 世界に通用したい願望と向き合う本。

 週のある朝、朝日新聞をめくるとユニクロの柳井会長兼社長のインタビューが載っていた。「オリンピックと同じで、世界市場では少々強いくらいでは勝てない。自分たちの強みをより強くすべきだ」。こう書いてあったことが、しばらく頭に残っていた。

 そのあと、少したってから思い出したのは『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』という本のことである。アメリカの大手調査会社ギャラップ社の創設者クリフトン氏と、同社の元社員バッキンガム氏の共著で、勝間和代氏の紹介で話題になった自己啓発書である。この本に、先の柳井会長のことばと似た趣旨の記述があった。

 ダメージコントロールだけでは、企業戦略としていかにもお粗末だ。それだけは、従業員も、企業自体も世界に通用するレベルまで高めることができない。

 弱点に厳しい眼を向け、それを克服しようと努力することもときには必要だが、結局のところ、失敗を回避する手助けにしかならず、すぐれた成果を収める助けにはならないということだ。セリグマン(*引用者注:アメリカ心理学会の元会長)も、われわれが話を聞いた優秀な人たちもみな同じことを言っている。強みを把握し、育てて、初めてすぐれた成果を収めることができるのである。

 柳井会長はインタビューで「グローバルに通用する日本のユニクロ」こそが海外で評価されてきたのだと語っていた。「デザインをロンドンに合わせ、素材を変えて価格を中国に合わせても『ユニクロじゃないユニクロ』は結局は売れない」。技術力こそが日本メーカーの強みなのだという。一方で、ギャラップ社の本によれば強み(才能)とは「繰り返し現れる思考、感情および行動のパターンであり、何かを生み出す力を持つ資質」とある。
 ユニクロの服や、ギャラップ社の自己啓発書の人気ぶりからして、現代においては、平均点の高さではなく、極端な「強み」を持つことの価値というのが成功の鍵になっているというのはきっと有力な仮説なのだろう。けれど同時に、ひっかかったのはふたつの「強み観」の違いである。片方は生産現場で身につけ、伝承される技術こそが強みだと主張し、もう一方は生まれながらの癖が生産性の源泉なのだと説く。前者の主語が「自分たち」であるのに対し、後者があくまで個人を前提にしている、というのも面白い。

 日本式とアメリカ式、世界に通用する強みを作るには違うやり方がある。技術の伝承と気質の強化。師に学び、集団としての技術を高めていくやり方と、弱いところは人にフォローしてもらって、個としての能力を磨いていくやり方。
 かりに世界的な成功を得た場合、名声の受取人をしぜんと自分「たち」に設定できる人は『成功は一日で捨て去れ』や『一勝九敗』といった柳井氏の仕事論が肌に合うと思う。
 一方で(私をふくむ)個人主義的傾向の強い人には『さあ、才能に目覚めよう』をおすすめしたい。きっと、眼の覚めるような驚きとともに読みきれるはずだ。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

 この本はただの自己啓発書ではなく、才能発見テスト「ストレングス・ファインダー」の受験票がついており、実際に自分の才能がどんなものかという診断を受けることができる。インターネットにアクセスして、本のカバーをめくったところに印刷されているコードを打ちこみ、180の選択式質問に答える。すると34の才能の中から、自分の無意識において優位を占める上位5つの才能と、その生かし方を教えてくれる。
 ちなみに私の場合、才能は「収集心/最上志向/内省/学習欲/目標志向」であった。うう、対人関係の才能がまったくない…。

*    *     *  

 閑話休題。ここまで読み進めたところで、なんとなく息詰まる気分になった人もきっといると思う。私も書いていてだんだん苦しくなってきた。
 なぜか。それは、柳井会長も、ギャラップ社も強みテストに夢中になる私も「世界に通用する」ことのない生き方を頭のすみに追いやっているからだ。べつに自分は世界に通用しなくてもいいから、この世界とうまくやっていきたい。そんな気持を真摯に考えた人はいないのか…?こう考えたとき、私の脳裏に浮かぶのはある詩のことばである。

 この世のどこでもぼくは
 幸せだった、廃位された王のように

(「ヴェネチア」)

 この、倦怠感の後ろにどこかおおらかさを秘めた詩行は「ブルターニュ地方の漁師町に暮らし、おのれの生の小宇宙を瞑想した作家」ジョルジュ・ペロスによるものだ。私は堀江敏幸氏の本でこの作家/詩人のことを知った。詩の影を求めて若い頃にパリを離れ、田舎町にひっこんだままそこで一生を過ごした人である。

 世界への野心に灼かれるように、あくせく勉強し、就職し、働くこと。そこに憧れると同時に、いいようのない違和感を感じている私は、この『魔法の石版』という長編エッセイを読むと複雑な気持になる。

フィニステール地方には、空と海と大地のあいだに、なんということでしょう、ぼくにはよくわからない野性的でやさしいなにかに駆り立てられて人間があちこち動く羅針盤になる、そんな結びつきがあるのです。

 「いまここ」でしか通用しない価値。一つの土地に必死に適応し、過去にとらわれず未来に名を残さず毎日をただ生き、ひっそり死んで行く動物のような生。「世界に通用すべし」という勢いのある主張と出会ったとき、海に撒いたパラシュートのように心にひっかかる重みはきっと、目の前のものに縛られながらも世界から自由な人々への望郷に似た愛情なのだと思う。(波)

魔法の石板―ジョルジュ・ペロスの方へ

魔法の石板―ジョルジュ・ペロスの方へ