その27 結婚する、あるいはしない僕らが読んでおきたい本。:女編

4年付き合っていた男性との関係に終止符を打った。「結婚しよう」という言葉がきっかけ。半年前のお話。「結婚」が怖くて逃げ出したのだ。


この数年間、パターン化されたような恋愛をしている。出会いから別れまで、同じ流れを辿ってしまうのだ。出会って数週間で付き合いましょうという流れになり、付き合って数週間で結婚の話がちらほらと出てくる。その数ヵ月後にプロポーズされ、別れを切り出すことになる。最近では恋愛自体が面倒になり「付き合いましょう」の予兆を感じるとじっと息をころし、それが通り過ぎるのを待つようにしている。疲れてしまったのだ。誰かのことを考えて胸をばくばく鳴らしたり、誰かの一挙手一投足に自分の1日が振り回されるような生活に。ただ怖いのだ。家というプライベートな空間に自分以外の誰かが存在する生活が。そしてそれが半永久的に続いてゆくということが。


どうしてこんなにも結婚が怖いのか。両親の仲は良すぎるほどにいい。結婚をした友人たちも「結婚はいいものだよ」と言っている。自分の中に巣食う結婚への恐怖感について考えてみた結果、やまだ紫を読んでしまったことがあるのではないかと思った。どこぞの恋愛小説のように、どろどろの不倫劇があるわけではない、泣き叫ぶ妻というシーンがあるわけでもない。素朴なタッチの絵柄に、からりと乾いた読み心地。初めて購入したのは「しんきらり」(大好きなちくま文庫!)だった。どこか懐かしい絵柄に惹かれて購入してみたら、心の奥底にざらざらとしたものを残してゆく強い作品だった。

しんきらり (ちくま文庫)

しんきらり (ちくま文庫)

女にとって“結婚”とは妻になると同時に、(いつか)母になることを意味する。自分を構成する主な要素が「わたし」から「お母さん」「奥さん」へと変わること。自分の目線で眺めていた世界は、今とはちょっと違った見え方になる(たぶんね)。しかし、それがぴんと来ない。根無し草のような生活をしているせいか、誰かと密に繋がる関係性というものが煩わしいものにしか感じられないのだ。


一組の夫婦と、その子供(姉妹)の生活。ていねいに描かれたその世界で主人公であるところの主婦は名前を持たない。奥さん、お母さん、おまえ、と呼ばれる彼女が初めて名前を呼ばれるのは265ページ。「山川さん」と声をかけたのはパート先のおじちゃん。久しぶりに名前を手にした彼女は、限られた時間だけ自分を生きる。家に帰るときは魔法が解けるとき。自分のいた場所——奥さんだったりお母さんだったり——に戻ると、与えられた役割をこなしてゆくいつもの彼女になる。会社にいるときよりも家にいるあいだのほうが仕事――ルーティンで物事を回してゆく、特に新しい発見やドキドキがあるわけではない――のようだから可笑しい。


家にいるあいだの時間は自分のもの。主婦は24時間をほぼ自分の好きなように設計できる。好きなときに家事をして、好きなときに読書をして。そんな生活がしたい、羨ましいと呟くわたしに、一足お先にと専業主婦になった友は眉を顰めて言った。「そう言えば聞こえは良いけれど、家という空間に軟禁されているだけだよ」と。接触する世界が限られているのがつまらないという。一番詳しいのは旦那にまつわる最新情報——体重の増減、好みの食べ物、最近ハマっている女優——で、それを知らず知らずのうちに知識として溜め込んでいる自分が嫌だという。限られた空間で生活していると、自分がもう何処へも行けないとしみじみするのだという。その話を聞いて思い出したのは256ページ、旦那の不貞を知った妻が台所で洗い物をする場面。

さっき洗った茶わんやはしをまた洗う
どんな言葉もはね返せるように背中に力を入れて洗う
不道徳とか邪恋とか肉欲と言えば責めやすい
でも彼は恋をしてときめいたのかもしれない
だからわたしは台所で幾度も茶わんを洗って泣く

泡立て、がしゃがしゃと引っ掻き回し、ざばりと水で流す。恋愛であれば声をあげて怒りや悲しみを表す場面で彼女はただお皿を洗う。そこには涙もなければ声もない。家庭という名の舞台で妻、あるいは母を演るあいだ「わたし」を出すことは出来ない。泣きたければ音をたてるしかない。怒りたければ背中に力を入れるしかない。


「子どもを産んで育てることにはたくさんの発見と喜びがあって、それは滅茶苦茶楽しいよ。やってみなくちゃ分からないし、やると病みつきになる。でもそれと夫婦生活は、また別の話。夫婦って難しいよ」と前出の女友達の弁。結婚はゴールではなくスタート。しかもそのゴールは何十年も先、遥か遠くにある。何十年もの距離を二人三脚で歩いていくということ。それはなかなかに難しい。難しいけれど簡単に棄権は出来ない。だからわたしはスタートラインに立つことすら躊躇してしまう。

長い
長い——夢の中にいた
あの人にめぐりあって6年
結婚して10年
あわせて16年もの夢——
わたし自分を無欲な平和な女だと思っていた
結婚生活に過大な期待をもたず
ただ平和な日々がおくれたらとささやかな
夫婦が長く平和に——という望みは「ささやか」な望みなんかじゃなかった
こんなに激しい夢ってなかったんだ

家庭で暮らす友人の話から朧げに感じていたイメージ。やまだ紫がその靄をふっと吹き消したことで、イメージは像を結んだ。淡々と描かれたスリリングな夫婦/家族生活(とても矛盾している表現だけどね)。ところどころに挿入される妻の呟きが耳から溢れ落ち、首筋をざらりと撫でる。結婚というものを知りたくて、何度もページを開くのだけれどそのざらついた感触を肌に感じるたび、背筋がぞわりとする。(歩)