その25 続・結婚する、あるいはしない僕らが読んでおきたい本。

 を読むといいことあるか、と問われたら答えに困る。好きなものだけ食べても健康にならないように、好きな本をどんなに読んでも賢くはならないと思う。でも、中には身につまされることがある。自分の一番痛いところを突かれて、唸りをあげてしまうような文章が。

 独身男というのは周りの人間を易々とは信用しないし、その人が独り者だとわかる頃には、独身であることの原因が道徳上の何か、もしくはほとんど神聖なもののように祭り上げられていて、こうなると本人でさえその原因を直視するのがはばかられる。

 ぐさっ。

 自分は理想を求めすぎなのだといささかなりとうぬぼれていない独身男には、いまだかつて僕はお目に掛かったことはない。

 ぐさっぐさっ。
 生身に刃をたてられるより辛い文章に出会ったのは、この本に収められた「ある独身男のお話」という短編である。

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

 いまでは役所の幹部であるアーチーは、まごう事なき独身である。若い頃の話、田舎の村を訪ねたとき、ある女性教師と出会った。彼女の物静かで知性的な様子に魅せられたアーチーは、しばらく旅をともにしたのち、「自分にとってこの人しかいないという女性」だと思い、結婚を求める。家の苦しい事情を打ち明けて尻込みする彼女に、アーチーはこう迫る。

「思い通りにできるようになるのは、君と一緒で、まだ先だ。でも、そういうことだって、いつかは何とかなる。それに、はっきり目的があれば、何とかなるのも早まるはずだ。僕には自分の性格がよくわかっている。」
 信念をしっかり持った人間としてアーチーは、自分がこれから結婚しようとする娘も同じように強い信念を持っていると思いたかったのだ。

 こんな男の結婚話がどうなるか。自分だとわからないのに、他人事となれば先が見通せるのだから、不思議なものだ。この作品でもっとも好きな一文。

 そしてある日、自然の女神が、彼の手をちょんちょんと叩いて、右の靴と左の靴を履き間違えているよと教えてくれることになった。

 短い話なので、顛末は実際に読んで頂ければと思うのだが(ま、見当つきますよね)、この作品は入れ子の構造になっていて、最後に語り手の「僕」がひょっこり顔を出す。ここが肝心で、話を聞いた「僕」は本当のことを口に出してしまい、彼に絶縁(!)されるのだ。

 だけど、僕が彼に言ったのはたぶん、明け方が近くなって辛くなるような時間に、彼が自分で自分に言ってきたことばかりなのだと思う。

 独身男はわかっているのである。わかっちゃいるのにやめられないのである。
 婚活だなんだと騒がれるこのご時世、探し回ればこの世のどこかに運命の人がいるなんて幻想がふりまかれているけど、そんな訳ないじゃないですか。一人者は、自分を変えられないから一人者であり、逆に一人者が恐れるのは、都会の孤独なんかより、自分がガチガチに固まってしまい変われなくなることなのである。

 親友の結婚式のあと、ひとり早稲田「どん平」に立ち寄り、読みながら涙をながした二十七の夜。(藪)